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イワタルリ作品:鉢 Bowl  1991年

BODY × 硝子

イワタルリ BODY×硝子 

​古澤かおり

 

  1. はじめに 

 

 「窯の中でどろどろに溶けたガラスの状態が好き。」

  イワタルリの語る熱によって溶けて柔らかくなった硝子の動きが、

 造形表現として作品の中に留められている。

 イワタルリのガラス作品は、日常使いの小さな器から野外で展示される大型のインスタレーション作品まで、その表現の幅は広い。素材やそれを形作るプロセルを大切にしながら、彫刻的な立体造形作品に取り組む作家は、自身の考える美しさを体現するために試行錯誤するなかで、次々と新たな表現を生み出す。竿を用いて炉の中で溶けたガラスを自由に造形する作家の作品は、大きな存在感と作家によって引き出される素材本来の持つ美しさが息づき、作品をみる者を圧倒させる力がある。我々は、作品と対峙する中でガラスという素材を強く意識させられるとともに、作家独自のダイナミックな作品世界へと惹きこまれていくことになるだろう。 
 
 今回の展覧会では、タイトルおよびテーマの中で作家の作品やその根底(ルーツ)を形容する言葉として、「BODY」および「硝子」を使用している。本稿では、「BODY」と「硝子」という言葉とともに本展出品作品から、ガラスという素材を通して表現される多様なイワタルリ作品やその制作について考察していきたい。 

 

2.イワタルリと「硝子」 
 

 作家へ制作活動のきっかけやガラスを素材として選択した理由を問うことは、作家の家族を知れば無用なことのように思われるが、筆者が作家へと質問を投げかけた際には、予想に違わず「家がこれですから」との返答を得た。 
 作家は、独創的なガラス表現を展開し、日本においてガラス素材を工芸の分野へと拡充させ、制作及び製造の場として自身のガラス工場「岩田工芸硝子」を開いた岩田藤七を祖父に、ガラス作家として活躍する傍ら作家同士のコミュニティとなる日本ガラス工芸協会の設立に尽力した岩田久利を父に持つ。また、母である糸子も、それまでの技術的な問題から造形の中で使用することが困難であった、黒い色ガラスを作品制作の中で取り入れ、ガラス作家として活躍する人物であった、1951年、まさにガラスの家系とも言える岩田家に生まれた作家は、幼いころより祖父や両親、職人たちの制作の場が身近にある環境で育ち、既に子供のころからガラス作家になることを志していたようである。ガラスという素材が変化する様子や、ホットワークによる多様な製造の技法と表現に触れ、素材や造形に対する感覚を、彼らが制作する様子を見る中で養ってきたのであろうか、後の作家の咲く人からは、素材の特性を生かしたのびやかで自由な印象を強く受ける。 
 
 作家が東京藝術大学へと進学する1969年、大学教育の中でガラスという素材を専門的に扱い、教育する場は未だ確立されていなかった。このため作家は、金属の鋳造技法を用いた作品制作を学ぶ鋳金科を選択する。型を用いて金属を鋳造する鋳金の技術は、同じく型を用いて鋳込みによりガラスを成形するキャストの技法と通じるところがある。この大学・大学院での経験が、宙吹きを中心とする岩田家のガラス作品の中では異質とも思える、キャスト技法を用いたガラスのインスタレーション作品や大型の器作品の制作へと繋がっていたと考えられる。またガラスを金属素材と組み合わせ、観物へと提示する発送は、金属による作品制作の経験の中で培われたものと考えられる。作家の作品展示において、黒焼きの鉄の色彩や質感は、表現されるガラスを美しく際立たせる重要な役割を果たしている。現在では≪№.160624≫(2016年)のように様々な種類の金属とガラスを組み合わせ、立体作品とする試みを都行っており、金属を用いた制作の経験が、再び近年の作品表現の中で活かされていると言える。 
 さらに作家は学生時代、フォーヴィズムの中心的な存在であったアンリ・マティス、抽象表現主義作家であったジャクソン・ポロックやマク・ロスコ、この他ミニマル・アートの咲く人に高い関心を寄せていた。在学中に作品鑑賞のため、アメリカやヨーロッパの美術館を巡る機会を得た作家は、自身の作り出す作品の色彩や制作に影響を受けることになる。その片鱗は、立体に表現することへの興味と相まって、大学院の修了制作としてアルミ材を鋳造し造形された、真四角の抽象彫刻の中に見ることができる。そして卒業後に作品表現の媒体をガラスへと転換した後は、豊かな色彩表現や先述したキャスト作品の幾何学的なフォルム、さらにインスタレーションによる作品提示の方法の中にも見出される。 
 
 さて1977年に東京藝術大学大学院課程を修了後、作家は本格的にガラス作品の制作活動を開始し、1979年には自身初の個展を開催する。ガラス作品の制作の場は、祖父や両親と同じく岩田工芸硝子であったが、ガラスによる作品制作の方法は家族からではなく、岩田工芸硝子で働く「職人たちから学んだ」と語る。職人たちの後押しを受けて作家は、技法や作品表現を試行錯誤するとともに、実験的な制作に取り組み、肉厚でボリュームある多様な作品を生み出していく。文頭で記載した言葉にあるガラスの美しさを自身の表現とし、作品の中で体現する作家の作品は、薄く吹き上げられ、精緻な装飾が特徴的な祖父や父の作品とは一線を画しており、そのユニークな作品表現は父である久利へもインスピレーションを与えたようである。 

 

3.イワタルリの作品制作-「彫刻的作品」と「工芸的作品」 
 
 では、作家イワタルリの作品は具体的にどのようなものであろうか。作家の作品は本人が「彫刻的作品」と称する大型のキャスト作品と、器のかたちを呈し、日常の生活の中で使用することの出来る「工芸的作品」の二つに大別することが出来る。 
 
(1)彫刻的作品 
 彫刻的作品は、立方体等シンプルで幾何学的なフォルムを呈するガラスのパーツ(それぞれ一つ一つも大きく且つ量感を湛えたものであるが)から構成され、作品によっては木、麻縄、コンクリートなどの異素材と組み合わせてインスタレーションするものである。本展で出品される≪No.893281≫ (1989年)や≪No.899251≫(1989年)などが彫刻的作品の一例にあたる。この他≪No.030205≫ (2003年)のようにコンクリートとガラスで作られた角柱を、空間にあわせて構成し展示する作品をはじめ、野外の空間や建築の構造に合わせて設置されるスケールの大きな作品を制作している。こうしたキャストによる大型の作品表現は、日本では作家が初めて試みたものと言える。作品を構成するガラスパーツは、作家が水粘土で成型した原形を元に、耐火石工や砂で制作した型の中に、宙吹き用の窯の中で溶けたガラスを竿で巻き取り流し込むことで作り上げる。特に≪No.030205≫ と≪No.160624≫ で使用されているガラスの角柱は、砂型を用いた成型方法によって制作されている。その表面には、型で使用された砂が付着しており、型からはみ出したガラスも削られることなく立体の縁へと留められている。このように彫刻作品では、型肌や原形に付けられた痕跡の他、型に用いられた素材を意図的に残すことで生まれた素材感、そして職人たちの手仕事ならではの風合いが、一つ一つのパーツに個性を添え、制作の痕跡をダイレクトに観者へと伝える。 
 また彫刻作品ではソーダガラスの淡い緑色を帯びた色彩が特徴的であり、展示空間やライティングによって生まれる濃淡の変化によって、全く異なる印象を与える。組み合わされる異素材は、それ自体が存在感と美しさを持つように、意図的に錆びたような色彩や年月を経て古びたような味のある風合いへと加工され、ガラス素材自体の美しさを引き出す要素となっている。 
 さらに、彫刻的作品は≪No.893281≫のように、はじめは四角い形を呈するものが多く作られたが、制作を経ていく中で次第に丸みを帯びた形状へと発展していく。また、一度制作された作品が再びガラスのパーツとなり転用され、展示される空間や作家の発想により新たなかたちへと姿を変えた作品もある。こうした柔軟な制作姿勢は、作家の一つの特徴といえるのではないだろうか。 
 
(2)工芸的作品 
一方で工芸的作品は、吹きガラスで作られた透明な器に、柔らかく溶け様々な色彩を呈するガラスを、粘土を用いて彫塑を作るような感覚で大胆に肉付けし、作り上げられる。直径30センチに満たないような作品であっても、かなりの重量となるため、3人~4人の職人とともに制作が行われる。≪花器≫(1998年)や≪鉢≫(1998年)をはじめとする作家の作品では、力強いガラスの動きが感じられるとともに、作家や職人たちが制作する際の身体的な動きをも想像させる。 
 また≪皿≫(1991年)と≪鉢≫(1991年)など、「縄積み」という作家が生み出した技法を用い制作された作品がある。これら作品は、紐状に引き延ばされたガラスを手捻りの陶器を作るかのように、輪の形に積み上げることで形成される。装飾の土台となる部分が無く、紐状のガラスのみで造形されるこの技法は、その制作に非常に高度な技術が求められる。そして作品に見る調和のとれた美しい色彩やかたちは、事前の下絵や計画に基づくわけではなく、職人が紐状のガラスを積み上げていく、まさにその作業を見ながら作家が指示を出し表わせたものである。 
 こうした表現方法に加え、作家の洗練された色彩感覚と独自の色遣いは、他の工芸的作品の中でも窺うことが出来る。無色透明や透明な色ガラス、不透明な色ガラスなどが絶妙に組み合わされ、そのバリエーションは非常に豊かである。例えば≪花器≫(1998年)では、細やかな亀裂とざらざらしたテクスチャのあるマットな黒のガラスと、表面に光沢があり均一な赤色を呈する色ガラスの二種類で構成されており、質感の違いを用いて作品の制作が行われている。また丸いフォルムに、ぽってりとした白いガラスが配された≪花器≫(1992年)の、一見灰色のように見える器の色彩は、沢山の色ガラスが混ざりあうことで生じるものであり、照明によって僅かに赤みを帯びて見えたり、青みを帯びて見えたりとその印象を変える。 
 
 このように多様な作品表現を展開する作家であるが、自由な制作を試みることが出来たのも、「家族の理解はもちろんのこと、職人たちの理解や部門を超えた制作の協力を得られたことが大きかった」と述べている。以上のことから作家の作品は、可塑性や透過性などガラスの持つ特性への理解と、それを扱う作家と職人の高い技術、色彩に対する洗練された間隔で制作され、表現されたものであると言える。 
 

4.イワタルリの作品にみる「BODY」  
 
 これまで言及してきたように、作家の作品表現は多岐にわたるが、その作品制作は、自身の掌や身長などの身体サイズを基準とする点において共通する。この基準は、「自分と同じ大きさでつくられた作品が展示され、それを対峙した時に何を感じるか知りたい」という作家の興味から始まった試みである。例えば、本展出品の彫刻的作品(≪No.900251)、≪NO.030205≫ )を構成するガラスの長さは「150センチ」であり、作家の身長とほぼ同じ大きさである。また「20センチ」という作家の掌のサイズを基にした作品制作も行われている。作家にとって自身の身体サイズは作品の出来上がりを想像する上で一番想定しやすいサイズであり、現在に至るまで作品制作の基準となっている。 
 こうして創りだされる作品からは、まるでそれが作家の一部であるかのような印象を受ける。我々は、展示空間の中で作家と対峙するだけではなく、作品に表現されるサイズ間と相まって、ガラスの中に作家の存在を感じ、作品を通して作家自身と向き合う感覚となる。 
 また溶けた状態のガラスを竿に巻き取り方に流し込む、息を吹き込む、引き延ばすなど、作品を作る過程で生じる作家や職人たちの身体的な動きが、力強い造形表現として作品の中に息づいている。キャストの作品に見られる型の中へと流し込まれるガラスの重なりや気泡の存在、器の作品の荒々しく大胆なかたちなど、作品に残る痕跡が、生き生きとした印象を作品へと与え、見る者の視線を引き付ける大きな魅力となっている。 
 
 本展タイトルにある「BODY」という単語を聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは「体(身体)という意味ではないだろうか、“body”という英語には、この他にも名詞として使用する際には「人物」や「塊」、「集まり」と言う意味があり、動詞として使用する際には「~を具体化する」、「~に形を与える」というような意味を持つ。「BODY」は、これまで言及してきた作家の作品表現を示す言葉として言えるのではないだろうか。 
 

5.おわりに 
 
 今回の展覧会では1990年代に制作された作品を中心に、約25点を展示する予定としている。作家は、現在も日常使いの器はもちろんのこと、金属とガラスの立体を組み合わせた彫刻的な作品制作にも取り組んでいるが、「今はかわいらしいものをつくりたい」と語るように、そのめざすところや作品に託す思いは時代を経て少しずつ変化を見せている。ガラスの家系とも言える岩田家に生まれ、学生時代やガラス作家として制作する中で試行錯誤の上たどり着いた90年代の作品表現は、作家として円熟した現在の作品表現とはまた異なる趣を見せるだろう。本展で作品一点一点と対峙することを通して、作品に潜むイワタルリというガラス作家の試みや表現、そして作家自身を感じるきっかけとなれば幸いである。 

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